インド最大の都市のムンバイ(ボンベイ)は、
かつて、UTC+4時間51分という中途半端な標準時を採用していた。
(了)
2013年9月24日火曜日
2013年9月20日金曜日
第4話 北極海の幽霊船
ハドソン湾会社所有のベイチモ号(Baychimo)は、
カナダ・ビクトリア島に住むイヌイットとの毛皮と食料の交易に使用されていたが、
1931年に交易航海の終わりに叢氷に閉じ込められた。
乗組員は飛行機で救出されたが、その後の調査ではベイチモ号は跡形もなく消えていて、
船長は、船は嵐のせいでバラバラになって沈んだに違いないと判断した。
しかし数日後、イヌイットの猟師がベイチモ号を見たと知らせてきたがベイチモ号は放棄された。
しかし、ベイチモ号は沈まず、その後数十年に渡り数多く目撃され、
人々は何回か船に接触できたが、いつも装備がなかったか、悪天候のせいでサルベージに失敗した。
その後も度々ベイチモ号は目撃されており、放棄されてから38年後の1969年、叢氷のなかで凍り付いているところを発見された。
しかし、これが幽霊船ベイチモ号の最後の目撃例である。
2006年にアラスカ州政府はいまだ海上にあるか、沈んでしまったかに関係なく、
「北極海域の幽霊船」のミステリーとベイチモ号の居場所解明プロジェクトを開始したが、今の所発見には至っていない。
ベイチモ号
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%A2%E5%8F%B7
(了)
カナダ・ビクトリア島に住むイヌイットとの毛皮と食料の交易に使用されていたが、
1931年に交易航海の終わりに叢氷に閉じ込められた。
乗組員は飛行機で救出されたが、その後の調査ではベイチモ号は跡形もなく消えていて、
船長は、船は嵐のせいでバラバラになって沈んだに違いないと判断した。
しかし数日後、イヌイットの猟師がベイチモ号を見たと知らせてきたがベイチモ号は放棄された。
しかし、ベイチモ号は沈まず、その後数十年に渡り数多く目撃され、
人々は何回か船に接触できたが、いつも装備がなかったか、悪天候のせいでサルベージに失敗した。
その後も度々ベイチモ号は目撃されており、放棄されてから38年後の1969年、叢氷のなかで凍り付いているところを発見された。
しかし、これが幽霊船ベイチモ号の最後の目撃例である。
2006年にアラスカ州政府はいまだ海上にあるか、沈んでしまったかに関係なく、
「北極海域の幽霊船」のミステリーとベイチモ号の居場所解明プロジェクトを開始したが、今の所発見には至っていない。
ベイチモ号
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%A2%E5%8F%B7
(了)
2013年9月17日火曜日
第3話 消えた幻の島
太平洋に第二次世界大戦中まで存在が信じられていた幻の島があった。
この島は1972年に不存在が確定した。
もしこの島が存在すれば南の鳥島より東に位置し、
日本最東端の島である。
中の鳥島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%83%8E%E9%B3%A5%E5%B3%B6
(了)
この島は1972年に不存在が確定した。
もしこの島が存在すれば南の鳥島より東に位置し、
日本最東端の島である。
中の鳥島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%83%8E%E9%B3%A5%E5%B3%B6
(了)
2013年9月3日火曜日
第2話 54年も費やした五輪マラソン記録
1912年(明治44年)のストックホルムオリンピックの折、
金栗 四三氏は日本人として初めて五輪のマラソンに参加した。
しかし、レース途中で熱射病で気を失って倒れてしまい、
通りすがりの人に近くの農家まで搬送され介抱され、
金栗氏の意識が回復したのは、
その翌日で、既にレースは終了していた。
金栗氏は途中で棄権した形だが、
その途中棄権の意思が五輪運営側に伝わっていなかったため、
「競技中に失踪し行方不明」として扱われた。
その後、五輪開催55周年式典が開催される事になり、
運営員が当時の記録を調べていた所、
この出来事を発見し、金栗氏を記念式典で完走させる事に決めた。
そして1967年、金栗氏は再びストックホルムにてゴールテープを切り、遂にゴールを果たした。
その瞬間、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、
54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、
これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了する」とアナウンスされた。
金栗氏はゴール後のインタビューで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしている。
金栗四三(五輪長距離走世界最長記録保持者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%A0%97%E5%9B%9B%E4%B8%89
(了)
金栗 四三氏は日本人として初めて五輪のマラソンに参加した。
しかし、レース途中で熱射病で気を失って倒れてしまい、
通りすがりの人に近くの農家まで搬送され介抱され、
金栗氏の意識が回復したのは、
その翌日で、既にレースは終了していた。
金栗氏は途中で棄権した形だが、
その途中棄権の意思が五輪運営側に伝わっていなかったため、
「競技中に失踪し行方不明」として扱われた。
その後、五輪開催55周年式典が開催される事になり、
運営員が当時の記録を調べていた所、
この出来事を発見し、金栗氏を記念式典で完走させる事に決めた。
そして1967年、金栗氏は再びストックホルムにてゴールテープを切り、遂にゴールを果たした。
その瞬間、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、
54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、
これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了する」とアナウンスされた。
金栗氏はゴール後のインタビューで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしている。
金栗四三(五輪長距離走世界最長記録保持者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%A0%97%E5%9B%9B%E4%B8%89
(了)
2013年9月2日月曜日
第1話人類史上初の世界一周
マゼランが西回りの航海でフィリピンに上陸した折、
マゼランが連れていた通訳のエンリケという男がこの地方の言葉を話せることが判った。
エンリケは、数十年前にマゼランがマラッカから連れてきた男だが、
元々フィリピンで出身で、マラッカに奴隷として売られていた。
フィリピンで生まれ育ち、西回りで再びその地方に帰り着いたエンリケこそが、
人類史上初めて単独で世界一周を成し遂げた人物である。
マラッカのエンリケ(人類史上初世界一周達成者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AB%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B1
(了)
マゼランが連れていた通訳のエンリケという男がこの地方の言葉を話せることが判った。
エンリケは、数十年前にマゼランがマラッカから連れてきた男だが、
元々フィリピンで出身で、マラッカに奴隷として売られていた。
フィリピンで生まれ育ち、西回りで再びその地方に帰り着いたエンリケこそが、
人類史上初めて単独で世界一周を成し遂げた人物である。
マラッカのエンリケ(人類史上初世界一周達成者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AB%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B1
(了)
2013年9月1日日曜日
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