2013年12月21日土曜日

第6話 地球の最果ての島

ブーベ島は南大西洋の亜南極に浮かぶノルウェー領の火山島・無人島。ケープタウン(南アフリカ)の南南西約 2,500 km に位置する。最も近い陸地(南極大陸)との距離は 1,600 km であり、地理的に世界で最も隔絶した孤島である。

ブーベ島

(了)

2013年12月20日金曜日

【番外編】ニュース(2)まるで奈落…「ヤコブの井戸」と呼ばれる飛び込みスポットが人気。危険すぎてすでに9人が死亡

テキサス州にある「ヤコブの井戸」と呼ばれる自然の飛び込みスポットがあります。 
この井戸はすでに9人の命を飲み込んでおり、地球上で最も危険な場所のひとつです。 
しかしこのスリルは人の心を掴んで離しません。 

まるで奈落のようなヤコブの井戸は、その水底を見ることは出来ません。 
この井戸は間口はわずか4×10mに対し、深さは40m以上あります。 
テキサス州最大の水中洞窟だと言われています。 

「ヤコブの井戸」

http://www.dailymail.co.uk/news/article-2521271/Jacobs-Well-Wimberley-Texas-dangerous-places-dive-Earth.html

(了)

2013年10月24日木曜日

雑学(3)

フランス政府が日本の「日の丸」のデザインに惚れ、 
明治政府に、売って欲しいと申し出た事があった。


(了)

2013年10月10日木曜日

第6話 FIFA公認の最下位決定戦

2002年6月30日、日韓W杯の決勝戦(ブラジル—ドイツ)が行われた日と同じ日に、 
ブータンの首都ティンプーで当時、FIFAランク最下位クラスだった、 
ブータンとモントセラトの間で「もう一つの決勝戦」が行われた。 
決戦は決戦でも最下位決定戦である。

結果は、ブータンがホーム(高地)だったためかブータンが勝利し最下位を免れた。 
この試合はドキュメンタリーとして2003年に日蘭合作で映画化された。 

アザー・ファイナル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB

(了)

2013年10月4日金曜日

【番外編】雑学(2)

明治時代にチリ政府は、日本にイースター島を売却しようとしていた。

(了)

2013年10月1日火曜日

第5話 首なし鶏が生きた18ヶ月

コロラド州フルイタ市のとある農家で、1945年9月10日に夕食用として一羽の鶏が首をはねられた。
通常ならそのまま絶命するはずであったが、その鶏は首の無いままふらふらと歩き回り、それまでと変わらない毛づくろいや餌をついばむようなしぐさをし始めた。翌日になってもこの鶏は生存し続け、その有様に家族は食することをあきらめ、切断した首の穴からスポイトで水と餌を与えた。

翌週になって一家の主はソルトレイクシティのユタ大学に、マイクと名づけた首なし鶏を持ち込んだ。科学者は驚きの色を隠せなかったが、それでも調査が行なわれ、マイクの頚動脈が凝固した血液でふさがれ、失血が抑えられたのではないかと推測された。また脳幹と片方の耳の大半が残っているので、マイクが首を失っても歩くことができるのだという推論に達した。

結果、マイクはこの農家で飼われることになったが、首の無いまま生き続ける奇跡の鶏はたちまち評判となりマイクはマネージャーと農家の主人とともにニューヨークやロサンゼルスなどで見世物として公開された。話題はますます広がるとともに、マイクも順調に生き続け、体重も当初の2ポンド半から8ポンドに増えた。雑誌・新聞などのメディアにも取り上げられ、ライフ、タイムなどの大手に紹介されることとなった。
1947年3月、そうした興行中のアリゾナ州において、マイクは餌をのどにつまらせ、飼い主が興行先に給餌用のスポイトを忘れたため手の施しようもなく、窒息し死亡した。

マイクの死後、ギネス記録として首なし鶏マイクの生涯が記録された。

首なし鶏マイク

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E3%81%AA%E3%81%97%E9%B6%8F%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF

(了)

2013年9月24日火曜日

【番外編】雑学(1)

インド最大の都市のムンバイ(ボンベイ)は、 
かつて、UTC+4時間51分という中途半端な標準時を採用していた。

(了)

2013年9月20日金曜日

第4話 北極海の幽霊船

ハドソン湾会社所有のベイチモ号(Baychimo)は、
カナダ・ビクトリア島に住むイヌイットとの毛皮と食料の交易に使用されていたが、
1931年交易航海の終わりに叢氷に閉じ込められた。

乗組員は飛行機で救出されたが、その後の調査ではベイチモ号は跡形もなく消えていて、
船長は、船は嵐のせいでバラバラになって沈んだに違いないと判断した。
しかし数日後、イヌイットの猟師がベイチモ号を見たと知らせてきたがベイチモ号は放棄された。

しかし、ベイチモ号は沈まず、その後数十年に渡り数多く目撃され、
人々は何回か船に接触できたが、いつも装備がなかったか、悪天候のせいでサルベージに失敗した。

その後も度々ベイチモ号は目撃されており、放棄されてから38年後の1969年、叢氷のなかで凍り付いているところを発見された。
しかし、これが幽霊船ベイチモ号の最後の目撃例である。
 
2006年にアラスカ州政府はいまだ海上にあるか、沈んでしまったかに関係なく、
「北極海域の幽霊船」のミステリーとベイチモ号の居場所解明プロジェクトを開始したが、今の所発見には至っていない。
 
ベイチモ号
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%A2%E5%8F%B7

(了)

2013年9月17日火曜日

第3話 消えた幻の島

太平洋に第二次世界大戦中まで存在が信じられていた幻の島があった。
この島は1972年に不存在が確定した。

もしこの島が存在すれば南の鳥島より東に位置し、
日本最東端の島である。


中の鳥島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%83%8E%E9%B3%A5%E5%B3%B6

(了)

2013年9月3日火曜日

第2話 54年も費やした五輪マラソン記録

1912年(明治44年)のストックホルムオリンピックの折、
金栗 四三氏は日本人として初めて五輪のマラソンに参加した。

しかし、レース途中で熱射病で気を失って倒れてしまい、
通りすがりの人に近くの農家まで搬送され介抱され、
金栗氏の意識が回復したのは、
その翌日で、既にレースは終了していた。

金栗氏は途中で棄権した形だが、
その途中棄権の意思が五輪運営側に伝わっていなかったため、
「競技中に失踪し行方不明」として扱われた。

その後、五輪開催55周年式典が開催される事になり、
運営員が当時の記録を調べていた所、
この出来事を発見し、金栗氏を記念式典で完走させる事に決めた。

そして1967年、金栗氏は再びストックホルムにてゴールテープを切り、遂にゴールを果たした。
その瞬間、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、
54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、
これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了する」とアナウンスされた。

金栗氏はゴール後のインタビューで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしている。

金栗四三(五輪長距離走世界最長記録保持者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%A0%97%E5%9B%9B%E4%B8%89

(了)

2013年9月2日月曜日

第1話人類史上初の世界一周

マゼランが西回りの航海でフィリピンに上陸した折、 
マゼランが連れていた通訳のエンリケという男がこの地方の言葉を話せることが判った。 

エンリケは、数十年前にマゼランがマラッカから連れてきた男だが、 
元々フィリピンで出身で、マラッカに奴隷として売られていた。 

フィリピンで生まれ育ち、西回りで再びその地方に帰り着いたエンリケこそが、 
人類史上初めて単独で世界一周を成し遂げた人物である。 

マラッカのエンリケ(人類史上初世界一周達成者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AB%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B1


(了)

2013年9月1日日曜日

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